他人に劣ることを恥じるのではなく、過去の自分より劣ることを恥じよう!!≪ジョン・ラボックの名言≫
他人が自分より優れていたとしても、それは恥ではない。
しかし、去年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥だ。
≪銀行家・政治家・生物学者・考古学者/ジョン・ラボック≫
恥というのは、向上心を持つ上で欠かせない感情の一つです。
恥を感じないのであれば、解消をしようとは考えませんし、恥と感じるのであれば、その点に関して、解消をしよう、もしくは二度とそれをしないようにしようと考えます。
だからこそ、
自分自身が何を恥だと感じるか?
この部分が、とても重要であると言えます。
他人と比べて、劣っていた場合、恥ずかしいと思うことがあります。
しかし、他人と比べたとしても、そもそも練習量ですとか、勉強量ですとかの努力量の差がある場合はどうしても劣ってしまう場合があります。
自分なりに努力をしているのであれば、そこに対して、恥と思う必要は全くなく、逆にしっかり努力ができているのであれば、自分自身を褒める必要すらあります。
褒めることで、自信が付き、自分にとって大きなプラスになるからです。
ただ、逆に、過去の自分と比べ劣っているのであれば、ジョン・ラボックの名言の通り、恥であると思うべきです。
過去の自分よりも劣っているということは、努力を継続できなかった、サボってしまったということです。
つまり、堕落し、自分に負けたということを表します。
これを恥と捉えないのであれば、向上していくのは難しい事となります。
逆に恥と捉えるのであれば、怠けた自分に戻らないよう、努力することとなり、成長していくことになります。
昨日の自分より今日の自分。今日の自分より明日の自分。
ジョン・ラボックの名言では、「去年の自分」と定義づけていますが、それよりも、
今の自分は昨日の自分と比較、明日の自分は今日の自分を比較した方が、努力が継続しやすいです。
昨日の自分と比べてどうだったか?
もし、さぼってしまい、劣っているのであれば、それを取り返すように努力する。
努力をして向上したのであればさらに努力をして明日の自分は今日の自分を超えられるようにする。
こうやって毎日を積み重ねた上で、1年間を振り返ったとき、自分が去年の自分と比べて劣っているなんて言うことはないはずです。
イメージとしては
これですね。
1年間、毎日少しでも積み重ねれば、37.8になるし、少しずつでもさぼれば、0.03まで下がってしまいます。
ただ、この計算式のように、ずっと同じ計算でなく、さぼっても取り返せますよね?
だからこそ、そのさぼりや怠けを恥と感じ、取り返していくことが重要なんです。
途中で0.99になっても次の日には1.02にすればいいんですから。
かといって、実は昨日の自分を超えるためにはそんな複雑に考える必要はないんです。
昨日の自分より、漢字が1個でも多く読めるようになった、書けるようになった。
昨日の自分より、10分だけ集中して勉強ができた。
昨日の自分より、腕立て伏せが1回多くできた。
本当にちょっとした積み重ねが後々活きていきます。
こんな簡単なものでもいいですから、目標を決め、常に昨日の自分を超えられるようにしてみてはいかがでしょうか?
劣るとは?
何を持って昨日の自分と劣っているか?と考えると、
体力的な部分ですとか、年齢的に劣ってしまうのはしょうがない。
ですが、頭の中身はいくらでも鍛えることができます。
頭を鍛えることができるのであれば、体力が過去の自分よりも劣ってしまったとしても、それをカバーできる知恵ですとか、もしくは、その知恵を伝える術を身に着けることだってできます。
劣っていくことを悔やむのではなく、さらに向上していく自分を感じ、今が充実しているという風に思えれば幸せに感じられますよね!